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頭陀山城

頭陀山城

  • 深谷洞 山 69
  • (033-532-2801)

江陵-東海高速道路に乗り南下して望祥(マンサン)を越え、すぐ右側の西方の馬上川に沿い約2.0km程入ると東海工業高等学校があります。

山城はそこから河川の向かい側の北方の丘陵地(70m)にあります。 この山城についての記録は朝鮮時代の文献にはありませんでしたが、《朝鮮宝物古蹟調査資料》に「望祥面深谷里の南方の山のふもとにある。一説には古寧城址と呼ばれる」と記されており、《全国遺跡目録》には「墨湖邑深谷里の土城」、《文化遺蹟叢書》には「低い草山の稜線に沿いまるく積んだ1km程の土石混築城で、長安城または安土城と言うと伝わる。あるいは大津里ののろし台を守っていた兵士が駐屯したと伝わり、城の輪郭しかわからない」と記されています。

臨瀛誌

には「その何年か前に、古縣山城は昔の溟州郡墨湖邑深谷里の西方の山にあるが、今は昔の跡形しかない。城の周囲は1km程で、築城年代は確実ではないが高句麗の時ではないかと思われる。土城は長安城と呼ぶ」と記されている。

最近の調査によると、この城は多様な大きさの砂岩で構築された純粋な石城であると確認されました。城壁の高さ1~5m、上部幅2~3m、周囲約600~700mです。東北の壁は崩壊しましたが、西南の壁はほぼ原形を保っています。南壁の石垣部分の下からは赤黄色の土と大きさがCoobble以下の円礫が混合されたものが観察され、その表面は灰白色で堅いことからして塩分が含まれた板築部であると思われます。

北門址が存在したものと推定される所からは、高さ3m、周囲140cm程の石製の門楼が 発見されたと言います。城の中には井戸場が1ヶ所あり、平坦な部分は田、傾斜地は果樹園が開墾されています。住民の話によれば、この城の付近で半月形石刀が収集されたことがあり、今も土器や瓦の欠片があちこちに散らばっており、卍形模様のある瓦の欠片も発見されたと言います。

このような瓦の欠片は、忠北の南東部地方でも収集されています。この山城は、北西が高く南西が低い韓国の山城の特徴を現わしており、南西方に約200坪(660m)程の田があります。10余年前まで城の中に家があり住民が住んでいましたが、今はいなく、1000坪(3300m)程の果樹園が造成され、個人の小さな墓もあります。

東高速道路と並んで走る東線越しに東海岸がよく見渡せます。この城の築城年代は、高句麗または高麗初期という2つの見解があります。